イベント実現まで半年くらいかかりましたが、その間に足利大学の佐々木先生のお力添えでアフリカ開発協会の矢野会長と面会させていただき、タンザニアでのプロジェクトの話し合いをさせていただいております。
30年以上前のことですが、ナイジェリアをはじめ、アフリカの方々が20人くらい住んでいたアパートがわりと近くにありました。気が合う友だちができて、大学を卒業するまでは、週一回くらいの頻度で泊まりに行って、みんなでマッシュポテトの山を作り、ひとつかみしてタレにつけて口に運ぶ感じの夕食をともにして、朝までダンスしたりおしゃべりをしたりして過ごしました。大学生活のルーティンのおかげで、外国人に対して偏見を持たずに交流できて、それが今に生きているように思います。
アフリカの皆さまには『世界の日本語作文コンクール』実施に、毎回多大なご協力をいただいております。大森和夫・弘子先生が私財を投げ打って始められ、30数年にわたって行われてきたコンクールですが、3年前に大森先生の意志を受け継ぐことになり、この3年はほんとうに悩みました。個人でできるようなことでもなく、ビジネスにもなりませんので、日本企業が代わりに行うことも難しいと思いました。世界中で日本語を学んでくれている外国人学習者の皆さんが一同そろって参加できるただ一つの日本語コンテストですので、日本国の事業にしてもらえないだろうかと考えましたが、どこの馬の骨ともわからない私の考えを聞いて、「はい、そうしましょう」などと言ってもらえるはずもありません。
おととし、母が住む福島県に移ることになり、そのタイミングで文化庁長官表彰に選んでいただき、その会場で復興庁の方々と知り合うことができました。その後、復興庁イベントで、23名の中国人の教え子たちが活躍してくれたこと、復興庁の皆様がその様子を見て感動してくださったこと、中国政府メディアが初めて福島の復興についてポジティブな情報を発信してくださったことなど、数えきれないほどの奇跡の連続のおかげで、世界の日本語作文コンクールを、国の事業として継続してもらえることになりました。まだ、日本にお呼びできる入賞者数は発表できませんが、これからも外国人学習者の皆さんに楽しみにしてもらえる事業にしてまいりますので、引き続きご指導をよろしくお願いいたします。