リュウセイラさんの漫画に『O川先生』として登場しました。
セイラさんは、子どもの頃からの夢(声優になることと漫画家になること)を叶えました。いまはプロの世界にいるので、たぶん、テクニック的なところをずいぶん磨かれていると思うのですが、わたしが初めて彼女に会ったときは、「これはまさにダイヤモンドの原石だ」と思いました。
北京外国語大学には速クラスという、全国的に見て、最初から頭ひとつ飛び抜けたクラスがあるのですが、そのクラスの学生から「うちにすごい同級生がいる。私たち速クラスの学生は彼女に敵わない」と打ち明けられ、はじめて遅クラスの一年生・リュウセイラさんの存在を知りました。でも、それからしばらくは彼女に出会えなかったので、今で言う『都市伝説』みたいな感じで過ごしていたところ、たまたま見た一年生のスピーチ大会で、彼女がスピーチをし始めた瞬間にひとめぼれ、そして、ひと聞きぼれしました。
セイラさんの登場で北京市全体の日本語レベルが一気に上がりました。こんなことを言うと怒られてしまうかもしれませんが、当時スピーチ大会で北京市8位に入賞できなかった学生も、ここ数年実施された中国の全国大会に出たら、多分、優勝を狙えるくらい、当時は熾烈な争いだったように思います。
中でも、セイラさんの熱量は飛び抜けていて、彼女の熱量に対して失礼にならないように、わたしも他の出場者のレベルアップに力を入れていました。
でも、意外と簡単にレベルアップがはかれました。セイラさんに憧れを抱く後輩たちが、本番前にセイラさんと一緒に練習するだけで、勝手に上達してくれました。セイラさんと同じ舞台に立つというだけで、モチベーションが上がったというわけです。
日中国交正常化35年の年、さまざまな北京市日本語大会が行われて、アフレコ大会には、アニメ界のレジェンド・古谷徹(アムロ)さんが、そして、声優さんではないのですが、池上彰さんにも審査員としてお越しいただきました。この漫画の続きもありますからネタバレにならないようにお話はここまでにしますが、セイラさんは、竹取物語のかぐや姫のように、その日をきっかけに、月に行ってしまったような、そんな寂しい感覚でもありました。
【本当にあった笑える話10月号】
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