昨夜は1年ぶりに日本語教師研修を行いました。最後に一人一人に感想をお話しいただいたのですが、ある先生が「今日は何を話しても褒めてもらえたので、承認欲求が満たされました。普段は絶対にないことです」とおっしゃっていました。
承認欲求が満たされない人が授業を担当すると、主役の座を学習者に譲り渡すことをせず、大事な立場を一生懸命に守ろうとするのは、人の心理を考えたときに当たり前のことだと思っています。自分が承認されていないと感じたら、私たちは不安になりますし、失敗への恐怖も感じます。すると余計にコントロール欲求が強くなりますし、沈黙への耐性が低くなりますし、しまいには、学習者への不信感が芽生えます。
そうなると、学習者主体の授業は再現されないでしょう。もし再現したいなら、教師も学習者も承認欲求が満たされる仕組み作りが必要だと思っています。
自分は25年前に、たまたま主役の座を教え子たちに譲ったことで、学習者主体の授業が実現しました。同時に、教え子たちが頻繁に私を褒め讃える事はなくても、視線や雰囲気だけで、承認欲求が十分に満たされました。承認とは、下手な演出ではないんですよね。だから、人より多く話す主役の座を、いつでも手放すことができました。
昨夜は、20秒スピーチを何十回もやって、相手からポジティブフィードバックを受け取って、承認欲求が満たされる時間を過ごしました。