【報告】
先日、「自分を律するためには役立つけれど、他人に使うと傷つけてしまう言葉」についてお話しました。私自身、若い人に説教をしたとき、自分の知識をひけらかすような言葉が次々と口から出てくるので、「こんなに立派なことを言えている自分
」に酔ってしまう瞬間がたびたびありました。説教をされる側からすると、正しい言葉ほど、時に「うざい」と感じます。しかし、説教している側はたちまち興奮し、気分が高揚し、「いいことを言った」と満足してしまいます。怖いのは、その快感を内省しないことです。
よく大成功を収めることができない要因として挙げられる「小ずるさ」「小賢しさ」も同じだと思います。誰でも一度くらい、責任から逃げたり、自分に都合よく立ち回ったり、ごまかしたりすることはあるでしょう。大切なのは、そこで「うまくやった。次もこれでいこう」となるのか、それとも「今の自分は卑怯だった」「相手を傷つけたかもしれない」「自分が悪かった」と認められるのか、という点だと思います。
説教も、小ずるさも、問題は一度してしまったことではなく、それを正当化して繰り返してしまうことなのだと思います。人が成長するために必要なのは、「私は正しい」と思い続け、言い続けることではなく、自分自身に「もしかしたら、自分が悪かったのではないか」と問い続けることだと思います。
自分の間違いを認めるのは、決して気持ちのいいことではありませんが、それができる人は、いつまでも若々しいですし、何歳になっても変わることができる人だと思っています。
今夜から、今月の日本語教師研修が始まります。がんばります。