イベント情報

所沢北高校創立50周年記念講演会

金曜日、母校の後輩たちに向けてスピーチします。
高校時代、たまに母校の図書室で小学生が読むような伝記を借りて読んでいました。伝記にでてくる偉人たちは、いまでも人々に影響を与えています。もちろん自分にも。
大学時代は、伝記すら読まず、しょっちゅうバカ騒ぎして、人生を謳歌しているつもりになっていました。しかし、将来に対する不安というか、自分がだめになっていく嫌な予感がしました。そして、お笑いの夢をあきらめたときは、嫌な予感が的中したことに半分安堵しました。
再び北京に渡り、すぐに清華大学の先生になったときは、周りから「一歩登天」と言われました。同僚の駒澤先生は実力あるベテラン教師でしたが、わたしを仲間として見てくださいました。と言っても、お情けで仲間にしていただいていたことを知っていましたし、作文コンクールの大森先生も、いまでも仲間のひとりとしてお付き合いしてくださいますが、それはこちらが勘違いして調子に乗り、生意気な態度をとらないからだと思います。
お情けで仲間にしてもらった人間が「いま、あんたと同じステージに立っているぞ」といった勘違いを起こしたとたんに関係が終わるかもしれません。たとえそこで終わらなかったとしても、いやらしくてくだらない欲を出した時点で、終わりは時間の問題です。お二人とも心がお広いので、そうされないとは思いますが。
とにかく新米時代、ひとつくらいは自分に誇れるものを作らなければと思い、自分の自由時間をすべてとは言いませんが、ほとんど学生のために使いました。教え子を含め、自分より能力ある人しかいない場所で生きていく感覚というのは、バランスポールを握りながら、地上1000mを綱渡りするようなものです。
能力も実績もなく、綱渡り状態でしたが、教え子たちに毎日感謝されていたので、不安な気持ちになることはなく、高校野球部時代に抱いていた「生きている」という感覚を取り戻せました。
伝記の中の偉人たちは、いまでも生きているも同然だと思います。そして、バカ騒ぎしていたあの頃の自分は「生きていないも同然だ」と、うすうす気づいていたからこそ、自分はダメになるぞという嫌な予感がしたのだと、いまならわかります。
自分の利益しか考えていないと「生きていないも同然」となり、常に不安がつきまといますが、他人のことを考え始めると、すぐに「生きている状態」に変わり、不安が消えます。そこに気づくのは、いつも嫌な予感が的中するときです。
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