無事に講演会を終えました。ホッとしています。新米教師として、第二の人生を歩み始めた頃、気持ちを切り替え、それまでやっていなかったことをやることにしました。二ヶ月に一回くらい「ご報告」という形で名刺をもらった方々全員にEメール(その後、WeChatメッセージ)を送ることにしました。でも、残念ながらお返事をいただくことはほとんどなかったです。そのうち「返事はないだろう」という考えが前提になりました。ただ、そんな中でも、時々やりとりをしてくださる方がいて、その方々に引っ張っていただき、育てていただきました。それが理由でお返事をするようになりました。
当時、妄想だけは一人前でした。一年目から「面白い教科書を作りたい」と思って、会う人会う人に「構想発表」をしていました。半分呆れ顔で「笈川さんなら大丈夫」と言ってくれた人もいれば、「そんなに甘いもんじゃないよ」とおっしゃる人もいました。
結局、教材を出すのに9年かかってしまったのは、自分と自分の教え子しかわからない暗号によって発音指導やスピーチ指導をしていて、他の方から理解が得られなかったからです。それに、どうやって暗号を広めて良いかもわからなかったので、他校の学生にもスピーチ指導をして、カタツムリのスピードで広めていきました。でも、その本を買ってくれた社会人の方が多かったようで、翌年ベストセラー賞をいただきました。当時、自分の教え子を含め、大学生はコピーして使っていたようです。ある私立大学のマンモス校では、毎年日本語学科500名全員がその本のコピーで勉強してくれていたそうです。
昨年、帰国してから、日本のある出版社の担当の方が「日本でも出しましょう」と言ってくださったので、日本語教師になって22年もかかってしまいましたが、ようやく日本のみなさんにもどのような教材かご紹介できそうです。年内にはまとまりそうですので、どうぞ楽しみにしていてください。
さて、教科書作りの妄想の他、もう一つ妄想を繰り広げていました。「面白い勉強の方法を100個集めたら中国全土を駆け巡り、全国講演をして、みんなを幸せな気持ちにしたい」などと考えていました。北京大学や清華大学に入学してくる学生たちとおしゃべりしているうちに、面白い勉強法をたくさん教わりました。最初の1、2年で100個以上のネタが集まり、すぐに出発できる状況でしたが、大学の先生をやめなければ、そんな自由なことはできません。教え子の中には、声優になる!と決めてやり始めた子もいましたし、自分はこの道で生きていく!生き抜く!といった根性で頑張る教え子たちを見ながら、やり始める勇気もない自分は、情けない、でも、仕方ない。だって、自分だもん。などと慰めながら、決心するまで10年もかかってしまいました。
ところが、新しい世界に飛び込んでみたら、びっくりすることだらけでした。出会う人もすごい人ばかり。日本国大使館の職員の皆さん、大きな会社の社長さんたちがことあるごとに食事会で励ましてくださり、大事なことをたくさん教えていただきました。
さて、全国各地へ講演に行くと、翌年、全国の学生たちが北京の特訓班に参加してくれて、その勢いでスピーチ大会で優勝し、中国の大学院や日本の大学院に合格する学生がたくさんいたので、それも自信になりました。そこで、このやり方を中国から世界に持っていきたいと考え始めました。でも、やってみないと何もわかりません。世界各地で活躍されている国際交流基金の先生、世界各地の日本人の先生、現地の日本語の先生とも知り合うことができて、それまで自分が生きてきた世界は、かなり小さかったのだとわかりました。と言っていますが、私が知っている今の世界もきっと小さいのでしょう。
2020年1月。試練が始まりました。もともと何百名も入る大きな会場で講演会や授業をしてきたので、三密が禁じられたコロナ渦、最大の危機に直面しました。中国ではひと足早くオンライン授業が普及し始めていて、その様子がたまたまNHK『逆転人生』で放送されたおかげで、日本からたくさんのお仕事をいただき、今は世界各地の大学生に授業をしています。
今後、日本に入国する外国の方はものすごい勢いで増えていくそうです。コロナの影響で、他の仕事をし始めた方も多いそうで、急に留学生が駆け込んできたら、日本語教師不足が問題になりそうです。それが理由で、今回のイベントを担当しました。ヒューマンアカデミーさんは、今後、日本語教師取得者向けに「笈川班」を開きたいと言ってくださっているので、これから楽しみにしたいです。