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【危険な兵器の効果】

中学二年の時にある女子に告白して振られた理由が「勉強できて運動できて絵がうまくて字がうまい人じゃなきゃダメ」というものでした。夏休み前日、コンクールのために四枚の硬筆用紙が配られました。クラスメイト一人一人に頭を下げて一枚ずつもらい、私だけ四十枚書きました。三十枚を超えたあたりから「ああ、ここではこの字がうまく書けたけど、他がだめだ」などと独り言が漏れるようになりました。その中で一番「まし」なものを提出したところ、所沢市から表彰されました。結果オーライ。でも、頑張ったけどうまくいかなかったという印象が残りました。また、夏休みに画家を目指していた叔父が住む母の実家の近くの漁港へ行って、毎日風景画を描き、毎晩、叔父に見せました。叔父が筆を持った瞬間に海が輝き、山が輝き、空が輝き出しました。翌日、叔父の絵を真似てまた描き始めますが、似ても似つかぬ自分の絵にがっかりします。所沢に戻ってからも描き続けますが、親や友人から「は?これ、なに描いているの?」と酷評されます。しかし、意外にも美術の先生に評価され、埼玉県で入選しました。結果オーライ。でも、その他大勢と同じく「なぜ?」と思いました。新学期、スポーツ大会1ヶ月を前に、体育の先生に相談したところ「得意種目で力を出しすぎるな。バランス良く高得点を稼げ」とアドバイスされ、誰もやらないスポーツ大会用の練習に取り組み、満点が取れる種目では無理せず、体力を温存しました。その結果、とんでもない数字が出ました。「精一杯頑張ります」というセリフは、仲間を安心させるための言葉であって、闇雲にやっちゃダメだという現実を知りました。最後に勉強です。一緒に登下校する友人に歩きながら口頭で問題を出してもらい、できなかった問題をまとめてもらって丸暗記しました。5科目満点でしたが、「あいつは相当な女好きだ」という評判が広がりました。その後、告白した彼女から「付き合っても良いよ」と言われ、ドン引きしました。それが理由で、頑張ることの意義がわからぬまま高校生になりました。

高校に入り、大勢の人の前でモノマネを披露する機会がありました。そこで、「あいつは天才だ」と言われました。中学時代「女のためなら努力を惜しまない男」とからかわれ、頑張る意義を見失いましたが、高校で「天才だ」と言われる日々。それが嬉しくて毎日学校に通いました。私の人生のピークでした。

世のならいと言いますか、人は誰でも、得意なところで成功し、得意なところで失敗します。学生時代、自分はお笑いの世界で活躍できると思っていましたが、そこにはニセモノの天才だけでなく、ホンモノの天才たちがウヨウヨしていました。「もうだめだ」と思いました。でも、人生は面白いもので、「もうだめだ…」とあきらめ、長い間強く握っていた手を放した瞬間に、道が、開けます。

私は日本語教師になりました。

中国人の学生たちは、ひとことでいえば素直で、褒められたら頑張るタイプが多かったです。

結果を褒めるのは簡単で、うまくできる人を褒めるのも簡単です。努力も工夫もいりません。でも、うまくできない人を褒め、頑張る過程を褒めるのは意外と難しいです。それをサラリとされる同僚の先生を見て、すぐに完コピしました。高校時代に取り組んだモノマネが、ここで役立ちました。

褒めることのできる人は、けなすこともできます。発音の悪い学生からの質問に「は?なに?」という表情を見せただけで、その学生は簡単にどもり出します。モジモジしていて、いつまで経っても何を言っているのかわからない学生に、「おい、早く言えよ」という態度を見せただけで、その学生は簡単にどもり出します。その時、恐ろしいと思いました。なぜなら、教師はいとも簡単に学生のやる気を削ぐことも、吃音症を増やすこともできると分かったからです。

そこで、頑張ってもできない学生たちに、「暗記できないのは能力がないからじゃないよ。やる気のスイッチが入らないからだよ。あなたならできる」と、これまで自分に言い聞かせていたセリフを口にするようになりました。すると、次々とやる気のなかった学生たちにスイッチが入りました。なぜうまくできない学生を励ますことができたのかといえば、自分ができないのが当たり前だったからです。そして、最初のエピソードにアナザーストーリーがあって、当時、成績が一番優秀だった友人だけが「お前、すごいな」と言ってくれていたからです。34歳だった時に、彼が北京に遊びにきて、「お前が褒めると学生たちはやる気を出すぞ!」と教えてもらったときに、ふと、登下校の懐かしい景色を思い出しました。

日本語教師は恐ろしい兵器を持っています。人を上手に褒めるスキルがなければ、この危険な兵器の効果を存分に発揮させてしまいます。若者の未来を潰さないためにも、若者の能力を伸ばすスキル、日々の勉強が必要だと思いました。

ところで、子供たちとプラネタリウムを観てきました。40年前の『おもちゃの宇宙』という印象はなく、本物の夜空よりも美しかったです。

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