偽物の講義
正式に日本語の授業を担当し始めたのは2001年9月。翌月、まだ日本語教師歴が1ヶ月だった時に、清華大学の先生方が見学される前で模擬授業をしました。
当時、有名な先生がお書きになった文法書の中から、理解ができて納得できたものをいくつか取り上げ、ところどころ笑いが起きるようにスケジュールを組み立て、面白おかしく話しました。笑いのクオリティは低く、すべりまくりの授業でしたが、授業の目的は笑いをとることではなかったので、評価は爆あがりでした。
学生からの質問には、あらかじめ考えておいた内容を、その場で思い付いたかのような演技で話したところ、即興ポイントが加算され、余計に笑いが起きました。
でも、準備でも授業本番でも、自分は何も創り出していないとわかっていました。
付け焼き刃の模擬授業が終わると、先生方からも学生たちからも絶賛されました。大した努力もせずに過大評価を受けたという体験は、もしかしたらどなたにもあるかもしれませんが、変な汗が妙に溢れ出しました。
翌週、清華大学の先生方に日本語教育について講義をする機会がありました。新米教師が偉そうに「コミュニカティブ・アプローチというのは…。長所はこうこう、短所はこうこう」「オーディオリンガルメソッドというのは…」などと話し、教師歴30年の老教授が、「たいへん勉強になります」と言って、メモを取っていました。
ブッダの真理の言葉にこんな一節があります。「まことでないものを、まことであると見なし、まことであるものを、まことではないと見なす人々は、あやまった思いにとらわれて、ついに真実に達しない」と。私は、自分の偽物の講義によって、今後も評価され続けていくのかもしれないと思い、背筋が凍りました。その模擬授業で満面の笑顔だった学生たちは、相変わらず日本語を上手に話すことができていなかったので、偽物の講義をもうやめたいと思いました。
そういえば、ピカソは自分が描いた写実画が評価されるたびに、「俺は何も伝えていない。うまいと言われて嬉しいから描いているだけだ」と気づき、若くして写実画をやめたそうです。カッコつけて、ピカソになった気分を味わっているだけかな?とも思い、恩師に相談したことがあるのですが、「他人の言葉や他人の功績を集めて話すだけのセミナーの方がカッコ悪いよ」とお聞きし、「よし、俺は、自分で創り出すぞ!」と決意するのでした。
↑↑ある新米の先生から「笈川さんの新米時代のことを聞きたい」とリクエストをいただいたので、たまに書いていこうと思います。
ところで、小学生将棋名人戦の福島大会が郡山市で行われました。5年生ではじめた将棋だったので、最初で最後の名人戦。息子が「みんな幼稚園の時からはじめているのに、僕は中国にいて、時間を無駄に過ごしてしまった」と、スラムダンクの三井が試合中、自分が不良になったことを嘆いたシーンと同じくらいのテンションでぼやいていました。「将棋がしたいです」(笑)と今にも叫び出しそうです。息子にとっての日本生活は、留学のように新鮮に思えることがたくさんあるようです。