欧州講演を前に④ 北中米カリブ・南米編
指摘されたら、間髪入れずに大きな声で「ありがとうございます」と言えること。批判されたら、間髪入れずに「すみませんでした」と言い、誠実な声、誠実な表情で「これからもよろしくお願いします」と言えること。この3つができたら、人間関係の悩みの半分はなくなるような気がします。
「見学します」とだけ言って、突然教室に入ってきた先生が、授業中、真剣な表情で練習に取り組んでいた教え子たちの姿を腕組みしながら見ていました。その方が日本に帰国後、「あれ、どこかの新興宗教?みんな、狂ったように勉強してたよ」と言って、嘲笑っていたと、のちのち耳にしたときは、若気の至りで落ち込みました。
その日の授業の最後に、学生たちに向かって、「この授業を、アメリカやブラジルでもやってみたいです」と話すと、教室の後ろから「無理です」と野次が飛び、学生たちは意味もわからず、笑っていました。
若い頃は、このようなできごとがちょくちょくありました。
講演をはじめて数年は、「あなたがここにきて、うちの学生たちがやる気になるのは、迷惑だ」とおっしゃる先生が、時々いました。スピーチ大会で優勝候補の学生が8位入賞できなかったときに、「荒らさないでくれ」と、その学生の指導教師から厳しい口調で注意を受けたこともあります。
でも、そうなった理由もわかっています。それは、生意気な若者だったからです。
当時、授業中に、学生が質問をして、教師が答えるという、よく見かけるあのやりとりには、ほとんど意味がないと、しばしば主張していました。
教師が学生の質問に答えたあと、学生は教師の答えを復唱しないから、結局、答えを覚えることができず、試験にも活かせない。それが証拠に、教室の後ろのドアから出てきたところで、本人にもほかの学生にも同じ質問をしましたが、答えられたためしがありません。
学生は「気づきを得ました」「学びを得ました」と言いますが、真剣に覚えようとしないから、質疑応答の時間は、結局は、無駄な時間になってしまいます。だから「学生たちが10回復唱しなければ、意味がないじゃないか!」と主張していました。
ただ、この主張は、全教師を全否定して、全員を敵に回すような思想であり行為でもあったので、その後、正しさを求めることで、相手を傷つけるのはやめようと思い、正しさを追求して、いきがっている若い先生にも、自分の経験を話すようになりました。
実際、「あなたがわたしの学生を上手にするのは、迷惑だ」と言われると、最初の頃は頭がフリーズして、なにも答えられなかったのですが、だんだんと、間髪入れずに「それは、すみませんでした」と頭を下げられるようになり、3秒間微動だにしないでいると、すぐに違う話題に変わりました。授業中、学生から先生への質問と回答のやりとりには意味がないという主張も、口にしなくなりました。そうしているうちに、応援してくださる先生が少しずつ増えていきました。
授業中に野次が飛んだように、「子どもの頃から憧れていたアメリカで講演してみたい」という夢を、大人は、自由に語ることができません。実績を数値化して説明できなければ、誰も自分の夢に付き合ってくれません。ですから、1回1回真剣に向き合うことの方がずっと大事だとわかっていながらも、何カ国で講演活動をしたとか、スピーチ指導した学生が何人優勝したとか、そういう数字を意識して積み重ね、数字にこだわるようになりました。
ある日、北京でお世話になっていた大使館職員の方が、駐米されたときに、「次は、アメリカ50州講演をしてみては、いかがですか?」とおっしゃいました。
そのひとことに勇気をもらい、その日がターニングポイントとなり、アメリカにも、以前から行ってみたいと思っていたメキシコにもペルーにもチリにもブラジルにも行こうと決心しました。
そして、不思議なことに、そう決めた半年後には、行きたかった場所から声をかけてもらえたので、まるで、前々から予定をしていたかのように、その地に降り立つのでした。
【教訓】
正しさを主張し、人を傷つけないこと。
批判を受けたら、言い訳や主張をせず、すぐに頭をさげること。
夢をだらだら語るのではなく、数字を出して説明すること。
(次回、最終回。アジア、オセアニア、日本編)