欧州講演を前に③ 欧州・アフリカ編
◯◯ハラという言葉が市民権を得るまでは、天真爛漫に振る舞っていた人、人を疑うことを知らなかった人はいろいろ苦労があったと思います。そのせいで、疑い深い人になってしまい、笑顔が消えてしまった人もいると思います。
日本語教師としての最初の勤務地は、無試験で入学できる専門学校でした。「中国人はプライドが高いから、勉強が苦手な学生のメンツを潰すような物言いはダメだよ」といったアドバイスを事前にもらっていたので、極端かもしれませんが、まるでお客様や上司に対する話し方で彼らに対応していました。いまでは珍しくないかもしれませんが、学生に敬語を使い、丁寧に対応していたので、その態度を見た学生たちは、喜んでわたしの指示に従ってくれました。それに、学生たちも敬語が話せるようになりました。よく考えてみれば、教師が学生に向かって敬語を使わなければ、学生は敬語を聞くチャンスがないので、敬語が使えるようになるはずがないのは当たり前です。教師が偉そうな口調で「まあ、そうだね」と言っていたら、学生はその口癖を真似します。「まあ」を、学生が使いまくるのは、その教師の責任だと思います。
ところで、当時、反復練習によって、条件反射で受け答えができるようになった学生たちは、自信をつけ、筆記試験でも高得点を取るようになり、喜んでいました。ところが、その時、同僚の先生から「ここの学生はレベルが低いから、レベルの低いあなたの授業にピッタリ合う」と言われました。残念ながら、当時のわたしは、「知的レベルが低い」と批判され、上手に返す器もなく、黙ったまま、その場に立ち尽くしていました。
その後、清華大学の教師になり、スピーチ大会の表彰式で教え子の名前が呼ばれると、他校の先生から「勘違いしないで。優秀なのは学生です。あなたではありません」とはっきり言われました。いまなら、「おっしゃる通りです。学生が優秀なので、私は何もしませんでした」と返せるのですが、当時は若く、経験不足から、再び頭がフリーズして、なにも言えませんでした。
その後、地方の普通の大学の学生たちが来てくれるようになり、彼らが全国大会で優勝したり、北京大学・清華大学、東京大学の大学院に合格したりするようになりました。すると、「あなたのやり方は、中国人にしか通用しないよ」と言われ、その語気の強さにショックを受け、落ち込みました。
今ならわかります。わたしがその先生方を持ち上げることをせず、自分がやっていることに自惚れていて、浮かれているのを相手に悟られ、嫌な思いをさせたから、その腹いせに、根拠のない、いびつな指摘を受けていたということを。そして、足を引っ張りたいという相手の強い思いに唖然とし、フリーズした私は、しばらくやる気をなくしていました。
もし最初から謙虚な姿勢で先生方に向き合っていれば、評判が中国を超え、ヨーロッパで講演や模擬授業をするのに、時間はそれほどかからなかったかもしれません。しかし、15年もかかりました。遠回りしてしまったのは、100%自分のせい、自業自得です。そう考えてみたら、状況は一変すると思います。
実際、3つの大学での授業で、ヨーロッパの学生たちはノリが良く、授業はやりやすく、彼らはすぐに上達することがわかりました。同時に、自分の授業が、中国人以外の学生にも通用することもわかりました。
ところが、攻撃的で感情的な「中国人にしか通用しないよ」という言葉には強烈なパワーと魂が込められていたのか、自分は知らぬ間にマインドコントールされていて、「もしかしたら、今回は、たまたまうまくいっただけかも」という考えが拭いきれず、その年の秋、欧州を再訪し、今度は21都市を回りました。さすがに21連勝ともなると、「ああ、あの言葉には、根拠はなかったのか」とわかり、長い間苦しんでいた呪縛が解け、ホッと胸をなで下ろしました。
その後、欧州だけでなく、アフリカ大陸を2度訪問しました。世界各地をいろいろ巡りましたが、自分の授業にもっとも合うのは、ケニア人学生かブラジル人生学生だったような気がします。
わたしが学生たちに「大事なのは実力じゃない、態度だ!今は安泰で順調そうに見える人も、いつも偉そうにしていたら、数年後にはどうなっているか、ほんとにわからないぞ!」と口を酸っぱくしていうのは、若い頃に、苦い経験をしてきたからです。そして、そんな経験をしてきたので、誰かに「あなたは絶対に無理だよ」とは言わない人になろうと決心しました。
(次回、北中米カリブ、南米編)