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音声指導養成講座

セミナーが終わると個人的にメッセージが届きます。それが、このセミナーの楽しみです。
「私の所属する日本語学校の教師の仕事は、授業準備をしっかりやって、授業では、学生が聞いているかいないかは関係なく、その日にやるべき課題をもれなく説明することに終始していて、それを上から求められています」
講談師神田伯山のような話術があれば、長時間説明しても、聞き手を釘付けにできますが、この先生の他、同じような悩みを持つ先生の話によれば、学生は時計ばかり見て、授業に集中してくれないとのことです。「試験合格を目指しているから、授業中、会話に時間を割けない」という理由で、教師が試験対策の説明だけをしていて、その結果、試験であまり良い成績が出せないそうです。「問題は、教師陣一堂迷路にはまり込み、抜け出せないところにあります」とのことでした。説明というのは、問題がほとんどできて、わかっている人には効果があると思います。将棋も強くないうちはちんぷんかんぷんですが、強くなると棋譜の説明ほど面白いものはありません。そうなると、その先生の所属する日本語学校のやり方というのは、「学生がわかっている」「ほとんどできている」「試験合格は間違いないけれど、満点を目標にしている」という前提で行われているのかもしれません。もう30年以上も前のことですが、予備校時代、予備校講師の話術に魅了されました。でも、あれって、一流、超一流大学を目指す学生だけに喜ばれるシステムだったような気がします。
中国では、20年前の大学生はよく勉強していたと聞きます。朝早く起きて、30分以上教科書を朗読していたそうです。大学4年間、毎日30分音読して、文章を暗記していれば、誰だって話せるようになり、授業中、先生の説明を楽しく聞くことができます。教師の説明を面白いと感じたら、もっと自分で勉強するようになります。しかし、今はほとんどの学生が音読や暗記をしないそうですから、教師の説明を聞いても面白くないでしょう。教師の説明が面白くないと感じたら、もっと勉強しなくなるでしょう。
もし今のシステムを続けるなら、教師は講談師神田伯山のような話術を磨けば良いと思います。予備校講師のように学生を魅了できるでしょう。学生が授業中に時計ばっかり見るような話術では現状を変えることはできないと思います。そして、この音声指導養成講座に参加してくださった先生方は、新しいシステムを受け入れようと思っている方ばかりです。
それをそのままご自分の授業に取り入れたら、「学生の食いつきがよくなった」「口を動かさなかった学生が話すようになった」「発音が良くなった」といった報告をしてくれます。でも、考えて見たら当たり前のことですよね。
日本語教師が授業中、その日に説明すべき項目を説明している間、学生は上の空で、何も学ぶものがないと思っているなら、教師も学生も辛いです。折り紙で鶴を折るときに、長い時間、最後まで説明を聞いて、「さあ、折ってください」と言われても、多分、誰も折ることができないと思います。そうじゃなく、先生が隣について、学生が一人で折れるようになるまで、説明しながら一緒に折るしかないと思います。説明だけでは足りません。
今の学校教育はどうかわかりませんが、自分が小中高と授業を受けながら考えていたことは、英語がそうですが、「習得しにくい方法を使って、みんなで我慢して、最後にみんなであきらめることが、この授業の最終目的なんじゃないか」ってことでした。先生も学生も「それじゃ習得は無理だ」とわかっていることを、なぜやっているのか、本当にわかりませんでした。あの授業は、タネを蒔いていないのに、花を咲かせようとしているように見えました。肥料を与えていないのに、太った野菜を育てようとしているように見えました。
教師が学生の日本語を上手にするのは、鶴を折るよりずっと簡単だと思いますので、多くの先生に使ってもらいたいです。
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