イタリアの登山家ラインホルト・メスナーが、「目の前の山に登りなさい。山は君の全ての疑問に答えてくれるだろう」と言ったのですが、なんとなくわかるような気がします。目の前にいる人と話をしている時に、他のことや他の人のことを考えてしまうと、その人との話がつまらないものになってしまうからです。
以前、あまり親しくなかった方で、ほとんど無口、でも移動時間も含め、丸一日一緒にいたことがあります。最初は話が弾まず、重い空気が流れました。でも、ジャニーズジュニアが話題に上がった途端、その方は大ファンだったらしく、私の質問に全て答えてくれました。その後は、もう楽しくて、楽しくて…。それ以来、「どの方とも馬が合わないはずがない!」と思えるようになりました。若い頃、初めてできた彼女と初めの3ヶ月くらいラブラブの状態でしたが、本当の自分を出していませんでしたし、彼女のことを見ていなかったと思います。そのうち、興味を失い、彼女に向き合うこともなくなり、結局、彼女のことを何もわからず別れることになりました。これは、恋愛でも、教え子との関係でも、同僚との関係でも、同じだと思います。「自分はこれこれこんな努力をしてきたし、こんな地位や立場にあるから、それ相応の人とじゃないと話が合わない!」というのは、おごりというより、錯覚だと思います。地位も収入も実力も死ぬほどやった努力も人間の表面的なものに過ぎませんし、それらによって自分の本質は隠せても、自分の本質は変わらないので、成長にならないと思います。実際、表面的に優れていそうな人たちに囲まれ、いろいろ面白いお話やご助言を伺っただけで自分も偉い人間になったと勘違いしてしまったり、成長していると思ったりしたのですが、本質は何も変わっていなかったことに気づきました。自分を成長させるのは、地位が上がったり表彰されたりといった表面的なものではなく、目の前の山に登ることなのだと思います。
音声指導のセミナーが無事終わりました。日本語アクセントについては、OJADというすごいツールがあるので、わざわざ自分で楽譜をつける必要はないと思っていましたが、先生方のニーズは「自分で楽譜をつけられるようにしたい」というものでした。確かに、公文塾の先生が答えを見ながら丸つけをしていたら面白くないでしょう。それに、楽譜をつけられるようになった瞬間に、学生へのアクセント指導ができるようになるので、文法説明の上手な先生にとっても一つの武器にも特徴にもなると思います。私も笈川メソッドというものを多くの先生に使ってもらいたいと思っていますが、万能なメソッドは存在せず、有名な○○アプローチも「古いからダメ」「今の流行の主流じゃないからダメ」なのではなく、提唱者が直接指導して、そのメソッドを使う先生と信頼関係を築いていないからダメなのだと思います。野茂英雄さんのフォークボールも、ダルビッシュ投手のスライダーも、本を読んでマスターできるのは、ほんのひと握りの天才だけだと思います。学生が短期間で上達するのも、もちろん教え方が上手かどうかも関係しますが、結局はその先生との信頼関係によるところが大きいと思います。