息子と一緒に中学受験漫画『二月の勝者』を読み始めました。
自分自身、中学受験をしなかったのと、高校受験前に進学塾に通ったことがなかったので、教育で経済格差ができてしまうことを知ったのは、中国に渡ってからのことです。受験競争に勝ったにもかかわらず、すでに人生に疲れ果ててしまった学生も、北京大学や清華大学を踏み台にして、さらに飛躍しようとしていた学生も見てきました。北京大学や清華大学で日本語を教える日本人教師はもれなく中学受験を経験した超一流大学の卒業生ばかりでしたから、わたしは例外だったと思います。ですから、教え子たちの様子、彼らの心の動きを、完全に他人事として見ていました。
当時、毎年大学院試験の面接会場に呼んでいただき、面接を受ける学生たちの様子を見ていました。
「大学院に入ってからなにを研究するつもりですか」という質問に、ほとんどの学生がうまく答えられていませんでした。
しかし、この質問に対し、自分で書いた分厚い論文を面接官ひとりひとりに配り、「わたしはこれを研究したいです」と言った学生もいました。さすがに彼は合格して、その後東大に進み、博士号を取得して、大学の先生になりました。
2011年9月、わたしが中国各地を飛び回るようになると、地方の大学から中国の一流大学の大学院入学を希望する学生がよく訪ねにきました。ある男子学生はわたしのもとでインターンをしながら清華大学を受験することになりました。筆記試験でギリギリ合格して、9番目の成績で面接試験が受けられることに。しかし、準備時間は1週間。しかも、最終的な合格者はひとりだけ。下剋上するしかない中、彼が「先生、面接の練習に付き合ってください」というので、模擬面接をしてみました。
「では、あなたは大学院に入学してからどんなことを研究したいですか」
「まだ決めていません」
「ちょっと、いますぐ決めてください!」
彼は30分考えて、
「わたしは日本語教育を研究したいです」
「なぜですか?」
「それは自分でもよくわかりません」
「ちょっと、冗談はやめてください!」
そこで、30分ネットで調べて、日本語教育を研究している王先生がいることがわかりました。
「わたしは清華大学の王先生の研究室で日本語教育の研究がしたいです」
「そうですか。では、王先生のどんな論文を読みましたか」
「まだです。大学院に合格してから読みます」
「ちょっと、要旨くらい読んでおいてください!」
「先生、わたしに3日ください」
そんなやりとりをした後、彼は、王先生、王先生の指導教官、同じ分野を研究しているほかの先生の論文の要旨を読み、面接前日に、ようやくなにを研究したいのかが決まり、付け焼き刃のまま本番を迎えました。
面接会場に現れたのは一流大学の学生ばかり。しかし、ほかの8名は志望動機も自己PRもうまくできなかったそうです。ただ、趣味のアニメの話だけは全員ペラペラと話し、面接が終わると、「自分はやり切った、合格しただろう」と思いながら、笑顔で会場を出て行ったそうです。
彼は、大学ランキング267位、安徽省の大学の卒業生でしたが、アジアランキング1位の清華大学の大学院に合格しました。彼は大学院を卒業後、江蘇省政府に就職して、いまは日中友好の架け橋として活躍しています。
これは一例ですが、毎回わたしの学生は、壁にぶつかってから、自分で解決します。ですから、学生たちは、たぶん、自分の努力だけで合格したと思っているはずです。でも、それが一番だと思っています。なぜなら、将来大事なときに、「先生のサポートのおかげで今がある」と感謝するより、「自分の努力で過去の困難を乗り越えられた」と思っていたほうが、うまくいくと思うからです。
わたしの周りにいた駒澤先生も、大森和夫、弘子先生も、同僚の先生たちも名前は出せませんが、外務省や文科省で偉い立場になられている諸先輩方も、お世話になった日本企業の社長さん、メディア関係の方々も、わたしが自分で成長したと思うように、こっそりサポートしてくださいました。
指導の方法はさまざまかもしれませんが、「俺のおかげだぞ!感謝しろよ」と、恩着せがましくサポートをしたら、たぶん、学生は伸びないだろうと思います。
さて、今日から面接前研修が始まります。これから三ヶ月、付け焼き刃ではなく、中身も充実したものにできるよう、頑張りたいと思います。
駒澤先生が北京外国語大学に移動されたときは「うちの子たちをどんどん鍛えてくれない?」と話されました。声優のリュウセイラさんもその一人で、彼女も駒澤先生に紹介していただきました。
そんな駒澤先生の影響で、わたしも、「自分の学生をほかの誰にも渡さない」というスタンスを最初から捨てることができて、学生が書いた作文を見て、「すごい、これは…」と思ったときは、駒澤先生にお伝えして、教え子が駒澤先生のところに出向き、直接教わっていました。
今回、面接前研修を担当することになり、昨日は最初の授業だったので、一人ひとりの日本語力をチェックしながら授業を進めていましたが、自分ひとりの力では、まんべんなく一人ひとりの能力を高めることはできないので、ほかの先生に頼って、学生たちにはさまざまな体験をしてもらおうと思っています。
よく新米の先生から「笈川さんは、レベルの高い学生とレベルの低い学生、どちらを優先されますか」といった質問を受けます。そんなときは薩摩藩の郷中(ごじゅう)教育を思い出します。わたしが日本語教師になってまもなく、鹿児島県出身の方から教わる機会がありました。たとえば、「主君の仇と親の仇がいる場合、どちらから討つか」という質問に、わたしは「主君の仇…ですか?」と答えたのですが、「来たものから討つ」が答えだそうです。教室の場合、目の前の学生が優秀かどうかに関係なく、その学生を優先すべきだなと思いました。
さて、今日は目の前の学生を優先するお話をします。
ある男子学生の成績が悪く、わたしは悩んでいました。もっと大きな問題は、彼は元気もなかったことです。そこで、わたしはある日本人留学生に、彼と一緒に上海旅行へ行くようにお願いしました。彼は貧しい家庭の出だったので、「旅行費をわたしが出すつもりだ」と話したら、駒澤先生も「わたしも出す」とおっしゃいました。彼が旅行から戻ってきたときに、日本語がかなり上手になっていることを期待しました。
ところが、まったく変化なし…。わたしはなんとか状況を変えたいと思い、毎日彼とジョギングをしながら日本語会話特訓を続けました。半年後、彼の成績を見て愕然としました。やっぱりクラス最下位だったのです。しかし、駒澤先生は彼に「あなたはやればできる。信じている」とおっしゃいました。駒澤先生は翌日、企業の社長さんに頭をさげに行き、彼は冬休みにインターンをさせてもらえることになりました。
インターンから戻った彼は自信に満ち溢れているようでした。わけを聞くと「わたしはとうとうわかりました。この世界にわたしより日本語が下手な人がたくさんいることを!」と嬉しそうに話していました。
自信をつけた彼は、その後、クラスで唯一の国費留学のチャンスを得ました。大学を卒業後、東大の大学院に進み、博士号を取得して、いまは若くして、上海の有名大学の准教授になっています。
彼の成長を見て思うのは、彼をしばりつけて、「俺の学生だから俺が面倒を見る」というやり方をとらなくてよかった…ということです。もしそうしていたら、きっと彼の可能性をつぶしてしまったことでしょう。