大学で教鞭を執っていた時に、多くの著名な研究者や大学教授が招かれて、講演会やワークショップをされていました。
その経験を通して、私はある考えを持つようになりました。それは、「質疑応答は、分からないことを聞く時間ではなく、講師との友情を育てる時間である」ということです。多くの人は、質問というと、「知識を得るためのもの」だと思っているかもしれません。しかし、教え子たち、同僚たちは、少し違っていました。特に講演会やシンポジウムでは、質問は講師への敬意を表し、その人の人生や情熱を引き出し、「来てよかった」と思っていただくための大切なおもてなしの時間でした。
教え子の一人が、ある有名な教授にこのような質問をしたことがあります。「なぜそのことに気づかれたのですか?」「それは学生時代にはすでに気づかれていたのですか?」
この質問は、その研究を生み出した人生や経験に関心を向けた質問でした。すると教授は大変喜ばれて、講演で話されていなかった学生時代の話や苦労話をたくさん語ってくださいました。その後、その教授と学生は交流を続けることになりました。
私は、これが、質疑応答の理想形だと思っています。
別の光景を目にすることもあります。質問ではなく自分の意見を長く話してしまう人。無意識に失礼な言い方をしてしまう人。講師を試すような質問をしてしまう人が少なくありません。
さらに深刻なのは、誰も手を挙げないシーンです。せっかく講師が準備を重ね、遠方から来てくださっているのに、会場が静まり返ってしまう。このような場面を何度も見ました。
そのため、私は講演やワークショップの質疑応答の前に必ずこう伝えるようにしています。「どんな質問でも構いません。伝え方に問題があって失礼になってしまう質問でも構いません。私はどのような質問でもしっかり対応します。」
なぜなら、多くの場合、失礼な質問をする人は、本当に相手を傷つけようとしているわけではないと思うからです。私は以前、その理由について考えていました。そして一つの仮説を持つようになりました。それは、人はマイクを持つと深層心理が表れやすくなるということです。
質問者は最初から失礼なことを言おうと思っているわけではありません。しかし心のどこかに、「認められたい」「自分もすごいと思われたい」「本当にそんなにすごい人なのか試したい」という気持ちを持っているかもしれません。
そして人前で話す緊張によって頭が真っ白になると、理性的に考えていた言葉ではなく、深層心理がそのまま出てしまう。その結果、
質問ではなく意見発表になったり、講師を試すような言い方になったり、本人はそんなつもりがないのに失礼な表現になったりします。ただ、それは悪意というより、経験不足による失敗です。
考えてみれば、学校では「質問の仕方」を学ぶ機会がほとんどありません。「相手が喜んで話したくなる質問の仕方」を教わることはほとんどありません。だから失敗します。
これからの授業では、質問力も教える必要があると思っています。質問力とは、相手を困らせる力ではなく、相手の人生に敬意を払い、相手の情熱を引き出し、相手が気持ちよく話せる場をつくる力です。
長年、良い質問が友情を生み出すところを見てきました。そして、良い質問は講師への最高のおもてなしになるとも知りました。
だから、質疑応答を単なるQ&Aではなく、人と人との距離を縮める時間です。心を通わせる時間です。そして本当に良い質問とは、「あなたの人生をもっと知りたい」という敬意から生まれるものなのだと思います。