先日、中国吉林省・山東省の大学の日本語教師向けに研修をした際に、現在の状況を先生方に聞いてみたのですが、いまは、大学4年間日本語を専門として学んでも、日本語人材が輩出できない大学もあるようで、たまに日本語人材が出たとしても、それは大学に入学する前に独学でN1試験に合格していた学生がほとんどだということでした。そして、学生に日本語で話してもわかってもらえないから全て中国語で説明をしていたら、日本語を使う機会がだいぶ減ってしまい、教師自身の日本語力も落ちてしまったというのです。
「悪循環を変えるには、システムを変えるしかないのですが、古いシステムしかわからない私たちは、新しいシステムを受け入れる勇気がありません。改善したいですが、早く破綻して、ほっとしたいと考える自分もいます。」と話してくれた先生がいます。
日本語教師自身も学生も学生の親も、大学の日本語学科全体で、「これはまずい」と思っていながらも、同時に改善策もなく、手遅れだと思っている先生が多かったです。
私が中国に滞在中、私は日本で受けた6年間の英語授業の感想として、「もしかしたら多くの生徒が英語を習得できない方法で進めることが一番大事だとされていて、英語をマスターするより、みんなで我慢して、みんなでマスターすることをあきらめることのほうが大事だという共通の価値観があるから、どんなにまずいと思っていても、たとえ多くの生徒が大きな損失を被ったとしても、今のシステムは変わることはないのだろう」と思っていました。でも、昨年帰国してきて、教育委員会の方や、文科省や文化庁の方とお話をすると、「そんなことはない」とのことでした。そうなると、中国における日本語教育の現状や変えられない理由と似ているように思いました。
昨年、私が帰国してからよく聞く言葉に「他人は変わらない」というものがあります。そういうこともあるとは思いますが、久しぶりに会う友人と会うと、学生時代とは全くの別人というか、「みんなちゃんとやっているな」と思うことがほとんどです。
多くの恋人や夫婦が、「相手を変えたい」という熱い気持ちがあるから喧嘩もするし、大げんかになるのだと思います。最初から「他人は変わらない」とか「自分に近い人間が裏切る」とか、そういう類のことをクールに考えていたら、人を好きになることは一生涯ないだろうし、積極的に友だちを作ることもやめてしまうことでしょう。なんだか悲しくなります。
そもそも、先生になろうとする人や、リーダーになりたいと考える人は、本当は自分の影響力で、自分の生徒の成績を上げたり、良い道に進ませたりしたいでしょうし、尊敬もされたいでしょう。もちろん、口ではそうは言わないかもしれませんが。
今回、私たちが東京にいた間、母は本格的に家の庭の草刈り、草むしりをしていました。子供たちがいる時は、草むしりをする心の余裕がなかったそうです。母は以前、バリバリ仕事をしていて、なんでも任される立場だったので、他の人よりも能力があると信じていたでしょうし、他人に対して「なんであんなこともできないのだろう」と思っていたことでしょう。母は80歳まで、仕事のできない人の気持ちが本当に理解できなかったそうです。でも、今回、それは、能力がないからではなく、心の余裕がなければ、できない!ということがわかったそうで、本当によかったです。
私はさまざまな分野から良いとこ取りをしているので、自分のやり方をオリジナルだと思っていませんし、自分に能力があるから「できる」とは思っていません。同じ舞台を与えられ、人に恵まれたら、誰だってできなかったことができるようになると思いますし、反対に、どんなに優秀な人でも、舞台が与えられず、人に恵まれなかったら成果が残せないと思うので、結局は運次第だと思っています。そして、自分は運の良いヤツだって思っていて、「他人は変わる」とも思っています。なぜなら、自分でさえ、昨年の今頃の自分と今の自分は別人だと思っているからです。
「おお、指導法によっては、人は変わりますね」と驚かれ、「学習者を伸ばし、教師自身のスキルアップが本当にできるセミナーですから応援したい」とおっしゃる篠研セミナーのひとつとして、新しい研修をスタートすることになりました。このやり方を広めてくださるとおっしゃいますので、わたしも、熱い思いでぶつかります。
https://www.kanjifumi.jp/oikawa_speech_syokyu/?fbclid=IwAR1lwnpErLd4TsP1fW7et8hpmbX_rJ849jjJ_5E-oC5De1G51NfhB0L6TBQ