父は子煩悩で、よくカブトムシをとりに連れて行ってもらいました。「明日は朝早く起きよう」と言われ、父に連れられ森へ行くと、一本の木に何十匹ものカブトムシがたかっていました。50年近く経った今でも、同じ夢を見ます。
穏やかな性格で、勉強好きで、市役所職員だったのですが、突然「小説を書く」と言い出し、原稿用紙を山のように買ってきたことがあります。わたしは10年くらい前に自叙伝を書いたことがあるのですが、なにかに取り憑かれたかのように、1週間くらいで書き終えました。もしかしたら、父のなにかが乗り移っていたのかもしれません。
そんな父ですが、産みの親に捨てられ、育ての親には虐待されていたそうです。13歳で終戦を迎え、そこからは一人で生きてきたと言っていました。「自分が酷い思いをしたから、子どもにはやさしくして、尊敬されるお父さんになりたい」と言っていました。わたしはそれを聞いて赤面したのを覚えています。たぶん本気でそう思って素直に話してくれたのでしょう。人に言いにくいことを素直に堂々と言える度胸がすごいと思いました。また、夫婦共働きだったからか、父は亭主関白の要素がなく、わたしの同級生と将棋を指すときにも、敬語で話していました。夫婦間、親子間でも上下関係がなく、わたしが父とおしゃべりしていたときに、ストレスを感じたことは一度もありませんでした。
最近『叱る依存が止まらない』を読んでいて、親に繰り返し叱られる子どもは、自分で考えて動く力が奪われることがわかってきたそうですが、もの心ついたころから、親に叱られたという記憶がありません。母は老人ホームで夜勤が多く、家では疲れ果てて寝ていたので、とにかく、親に叱られなかったのは、本当にラッキーでした。
とはいえ、学校やほかの場所で、先生やほかの大人に叱られることはありました。それで頭がフリーズして、なにも考えられなくなった経験もあるので、専門家の先生のアドバイス通りに、いまは、子どもがなにをしても怒らない、叱らないパパをやっています。強く叱って直後に抱きしめるという手っ取り早いやり方もあるそうですが、子どもが心を病まないように、子どもを責めない言い方でやさしく話しています。それと、人前で「はい、自慢の息子です」「自慢の娘です」というと、子どもはやる気が出ると聞いたので、できるだけそう言うようにしています。そうしていたら、頑張っている学生にも「あなたはわたしの自慢の学生です」と言えるようになりました。普段からそう言っていないと、大事な場面で言い出せないので、これも訓練が必要ですね。
20年以上前に他界した父ですが、よく息子から、「おじいちゃんに会いたい」と言われます。もし生きていたら、わたしの代わりに息子と将棋を指して、将棋大会にも喜んで出かけていたことでしょう。息子から「父の日おめでとうカード」をもらったので、父のことを思い出しました。
おめでとうカードの中身を見てみたら「お小遣いをあげて」「自転車が欲しい」「スマホが欲しい」「ゲームがしたい」など、要望がいっぱい書かれてあったので、「短冊みたいなカードだね。こういうことは、来月、短冊に書いて、神様にお願いしなさい。神様が叶えてくれるかも」と言いました。でも、息子は父に似て、言いにくいことをストレートにいうタイプか?と思いました。