ぼくは、ずっと思っていた。「いやなことを言わなければ、人をきずつけることはない」と。どならない。わる口を言わない。たたかない。だから、ぼくはやさしいほうだと、どこかで思っていた。でも、反対のことをされたある日、はっとした。
もしかしたら、沈黙で、人をきずつけていたかもしれないと。たとえば、話しかけられたのに、返事をしなかった。目を見ないで、うなずきもしなかった。「あとでね」と言って、そのままにしてしまった。話しかけてくれた人に「ここにいてもいいのかな」と思わせてしまう。
でも、言われた人は、「自分の気もちが、まちがっているのかな」と、わからなくなってしまったかもしれない。
ため息をついたり、ちょっと笑ったり、名前をまちがえたり、がんばったことより、まちがいだけを言ったり。一つ一つは、小さなこと。でも、それが何度もつづくと、心は少しずつ、ちぢんでいく。
もっとこわいのは、みんなでいるときだ。だれかが一人になっているのに、
「まあいいか」と言って何もしなかった。「空気がわるくなるから」と、声を出さなかった。そのしずけさが、その人を、もっとさみしくしてしまうこともある。
こうしたことは、ノートにも、きろくにも残らない。だから、きずついた人は、「ぼくがわるいのかな」「わたしががまんすればいいのかな」と思ってしまう。そして、きずつけたほうは、「ぼくは悪いことはなにもしていない」と思ったまま。
ぼくも、そうだった。だから、気をつけている。返事をする。うなずく。名前をよぶ。「ありがとう」「そう思ったんだね」と言う。小さなことだけれど、心を守る力がある。つよいことばだけが、人をきずつけるわけじゃない。沈黙も、しずかな態度も、人の心を、あたためることも、つめたくすることもできる。
もし、まちがえてしまっても、だいじょうぶ。気づいたときに、やりなおせる。やさしさは、気づくことから、はじまるから。
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