
今週は、授業の司会(MC)を、ほかの先生方に担当していただいてます。
場を明るく彩り、笑顔で包み込み、ときには少し大げさな表現で学生たちを引き込んでもらっています。ハプニングが起きても、一瞬たりとも不快な顔を見せず、優しさをもって推し進め、学生たちに「安心して挑戦できる空気」を作ってくれています。学生の発表を聞くときには、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』のような優しい心で寄り添い、最後の一言まで耳を傾け、発表が終わったその瞬間、すかさず大きな拍手を送り、ポジティブな言葉で称え励ましてくれています。先生の温かい一拍手と一言が、学生の自信となり、未来への力となります。本来、私たちの授業の目的は、学生たちに、日本をもっと好きになってもらうことだし、日本語の勉強をもっと好きになってもらうことですから、日本語を選んでもらえただけでも、本当にありがたいこと。でも、すぐに初心を忘れてしまうんですよね。
先生方もそれぞれの現場で厳しい現実と向き合っています。合格を最優先にする読解授業では、学生たちに読書習慣を育てることより、ギリギリでもいいから合格させることが求められています。たとえその後、学生が勉強嫌いになってしまっても、「合格した」という一点だけで、その授業は成功とされます。
努力をしない学生を「怠け者」と見なし、心のどこかで恨めしく思うことがあるかもしれません。けれど、「頑張るタイミング」にまだ出会っていないだけかもしれませんよ。50を過ぎて思うのは、親や先生、大人たちが自分の心に植えてくれたポジティブな学びの種は、桃栗三年柿八年のように、時間をかけて芽を出し、花を咲かせます。焦る必要などなかったんだって思います。
そのことを、参加してくださっている先生方が理解し、信じてくださっていることに、心から感謝しています。教育とは、未来へつながる希望の種をまくことですよね。その意味を分かち合える仲間がいることが、何よりもの幸せです。