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日本語スピーチ判定アプリについての質問より。①

「最初から清華大学の先生だったんですか?」
今回、お二人の先生から尋ねられましたが、私の日本語教師人生は、ある私立の専門学校から始まりました。
そこは、まるで中国人の人情のすべてを凝縮したような学生たちが集まっていました。初めて校舎を訪れた日、少し大きめのカバンを持っていた私に、8人ほどの学生たちが駆け寄って、何も言わずに荷物を持ってくれました。その周りにはさらに10人ほどが集まり、まるで歓迎のセレモニーのよう。今にも胴上げされそうな、そんな熱気に包まれて、一瞬で彼らに恋をしました。
教室に入ると、彼らは口々に言いました。
「勉強がきらい。勉強ができない」
それらを日本語に訳して黒板に書くと、彼らは驚くほど素直に覚えてくれました。夏休みには、ネガティブな言葉ばかりを覚え、冗談交じりの「ネガティブ会話」は、まるで漫才のようでした。
ネガティブな言葉って、共感を呼ぶんです。それに本能的に覚えやすい。でも、口癖になると、心の中まで染まってしまいます。そんな危うさも同時に学びました。
半年が過ぎた頃、幸運にも清華大学から声がかかりました。
知らせを聞いた専門学校の学生たちは、満面の笑みで「すごい!」「よかったね!」と祝福してくれました。でもそのすぐ後に、「行かないで」「裏切り者」と、複雑な感情をぶつけてくる子たちもいました。
友人の一人に、「裏切り者と言われてつらい」と打ち明けたところ、返ってきたのは衝撃的な言葉でした。
「人を裏切るときは、大義名分を準備してください。簡単です。彼らの悪口を言うだけです」
心臓が止まりそうでした。今となっては、彼との間に築いた「絆の証」だったのだと素直に思えます。彼もカッコつけたかっただけかもしれません。
専門学校での最後の授業、私は教壇に立ち、静かに「ごめんなさい」とだけ言って頭を下げました。
その瞬間、一人の学生が泣き出し、次々と教室中に悲しみの波が広がっていきました。一分後には、どうにもならないほどの嗚咽が教室を包み、私はただ立ち尽くすことしかできませんでした。
技術も経験もなく、彼らの未来を切り拓く道を示してあげることができなかったことを、今でも悔やんでいます。
(続きは明日)
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