授業参観や懇談会がありました。いまの子どもたちは社会に出たときに役に立つことを学んでいることもわかってきました。教科書も先生の態度や授業の進め方も昔とはずいぶん違うようです。ある教室では、生徒たちがグループ発表をしていました。もちろん、全員芦田愛菜ちゃんのようにできたら良いのですが、セリフを見ないで、前を見ながら話すだけでも目立つ存在になれそうです。でも、せめて、全員がセリフを見ないで堂々と話せるところをスタートラインにしないと、たった1日の訓練が、6年間のほかの人の努力を上回る結果になってしまいそうで、そこは怖いと感じました。
昨秋、うちの子どもたちはこどもミュージカルに参加できたのですが、そこに参加する子どもたちは、最初はあがり症がほとんどです。でも、最後には人前で話したり演じたりするのが楽しくて仕方がなくなるようです。
「じゃ、子どもを無理矢理にでも参加させれば良い」と思われるかもしれませんが、多くの子どもは参加したがりません。理由は、子どもは、正しいかどうかや自分にとってメリットがあるかどうかで判断するんじゃなく、親が自分の味方かどうかで、親のいうことを聞くかどうかを判断しているからです。そして、ふだんから、子どもは親が自分の味方かどうか試しているそうです。わたしは、できるだけ「わたしはあなたの味方だよアピール」をするようにしています。「ああ、この人はわたしの味方じゃないな」と思うことが多かったら、親がどんなに正しいことを言ったとしても、子どもは親の言うことを聞かないからです。
たぶん、これは親子関係だけじゃないと思います。こんなことを書いているわたしも、気が張っているうちは良いのですが、ちょっと油断をしたら、すぐにうまくいかなくなります。偉そうに語り出したら最後ですね。ダメになるのは時間の問題です。
さて、子どもは親を試していると書きましたが、昨夜は子どもたちと一緒にピンクレディのペッパー警部を見ながら「パパは子どものときにクラスメイトから、笈川はミーちゃんが好きだろ!と言われ、泣きながら、僕はミーちゃんのことが好きじゃない!信じてくれ!と叫んだよ」と話したところ、息子が突然「ねぇ、パパ、僕とミーちゃん、どっちが可愛い?」と聞いてきました。その展開の異常さに「なんでやねん」と言いかけましたが、そんなツッコミや批判を子どもは求めていませんから、落ち着いて「もちろん、ゆうじくんだよ」と答えたら、うれしそうにしていました。子どもはどんな時でもどんな角度からでも親を試してくるなと思いました。
授業参観は図工。彫って刷った作品『夢は将棋棋士』