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一風堂日本語レッスン

死ぬ気でやらないと見えてこない世界があるといいます。たぶん、どの分野でもそう話す成功者がいて、この話は、死ぬ気でやったことがない人にとっては、耳を塞ぎたくなるようなうざい話だし、他人から押し付けたらハラスメントになりかねません。でも、20年くらい生きていれば、誰だって死ぬ気でやったことのひとつや二つはあるものですが、他人はそれを認めてくれないし、なにより、自分が自分を認めないからややこしくなり、「死ぬ気でやったことはない」と思ってしまいます。だから僕たちが、自分が死ぬ気でやったことを忘れて社会に出ると、あてにならないもののために死ぬ気になれるはずもなく、そもそも、この世には、あてになるものはないのだから、死ぬ気でやれるものはないと考えてしまうのもうなずけます。

「あなたは死ぬ気でやったことがありますか?」と聞かれることがあります。日本語教師になって最初の10年、夢中になっていたから、当時は、それが死ぬ気だったと思ってはいなかったのですが、いま思えば、毎日疲弊していたので、後付けで、「あの時を、死ぬ気でやった期間だということにしよう」と決めました。学生時代は、しょっちゅう死ぬ気でなにかをやっていたけど、自分も含め、誰からも認められなかったから、自分が死ぬ気でやっているときに、それが死ぬ気だったと気づかないのが自然なのかもしれません。とにかく、自分は死ぬ気で10年やったのだと思った瞬間、目の前がパッと明るくなりました。自分も死ぬ気でやった人間の一人になったのだと、自分を誇りに思えたからです。

実は、いつ逃げ出してもよかったのですが、やめました。もし自分が映画の主人公だったらと考えたら、いまの苦しみは、ある日、自分がなにかを成し遂げたとき、いや、成し遂げる直前に、辛く苦しかったシーンが次々と想い出され、懐かしく思えるだろうと、エンタメ感覚を持って自分を見るようになったので、逃げ出すのはもったいない、もっとこの主人公に試練を与えたい!と心から思えたからです。だって、自分の人生の主人公は自分だし、まじめな態度で試練に直面していたら、苦悩しか残らないから、「これはエンタメなんだぞ!」と自分に言い聞かせたのです。

うまくいかない時、最悪の状況に陥ってしまったとき、自分の人生をエンタメとして見ることができたら、他人を恨まずに済むし、文句を言わず、コツコツとゼロからやり直せます。しだいに、自分は逆境に強い、映画の主人公のような人間だと、本気で思えるようになりました。

一風堂レッスン第3期は、わたしの代わりに、お二人の先生が担当してくれています。お二人とも、夢中になって授業をしてくれています。多分、いまは、死ぬ気になってやっている途中なのでしょう。

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