先週の一連イベントが無事に終わりました。
この2年、日本語教師研修を何回も受講された方が、できなかったこと、やりにくかったことをちょくちょく話してくださいます。それは、よくよく考えてみると、自分も以前ぶつかった問題でしたが、慣れてくると平気な顔で瞬時に反応できるので、自分が以前乗り越えたことすら忘れてしまっていることが少なくありません。
ところが、問題解決に苦しむ先生方に寄り添うようになり、他人の問題とは思えなくなりました。日本語教師に対する指導も、学生への指導と同じ気持ち、同じやり方でやると、すんなりうまく行くようになりました。実は子育ても同じでした。うまくできない学生には、ちゃんと寄り添うことができていたので、おちょくるようなセリフや発想は一切でてきませんでした。しかし、同業者や近しい家族がうまくいかないときに、おちょくるセリフや発想が出てくるのです。
もちろん、アプローチはひとによって違うと思いますし、違っていたほうが良いと思いますが、自分の答えとして、同業者にも家族にも、とにかくすべての人に対して、目の前で苦しんでいた学生に接したように、その人の体の中に入り込み、そこから外を見るように接することで、さまざまな問題が一気に解決されるようになりました。
「一人一人にそんなに丁寧に接するなんてコスパが最悪だし、馬鹿げている」という意見もわからなくもないんです。ただ、コスパ第一主義でやってつまづいて、自分の周りに人がいなくなったと気づいたら、やっぱり一人一人に寄り添うというところに戻って、一からやりなおすのが良いって思います。歳をとって孤独を感じる人は、一人一人に寄り添うことをやってこなかったから、いまさらできないと決めつけちゃっているだけだと思います。相手がどんな人でも、興味を持って接したら、自分までキラキラ輝くくらい、他人は誰でも太陽の要素を持っています。だから、80歳になっても、90歳になっても、あきらめないでください。あきらめたらそこで試合終了ですよ(スラムダンクの映画を見て、新装再編版を買いました)。