1 話術を“感じただけ”では、実力はつかない
お笑いが大好きで、よく漫才を見ます。すごい話術、絶妙な間、観客を一瞬でつかむパワー。同じネタを何回見ても飽きません。でも、どれだけ見ても再現できません。
それで、気づきました。
「人は、面白い話を“聞いただけ”では上手に話せるようにならない」と。
今日お話したいのは、ここにあります。
2 予備校時代の気づき
僕は有名予備校に通っていました。そこには「カリスマ予備校講師」と呼ばれる先生がいました。圧倒的な話術、テンポ、ストーリー性。僕たちは毎回、心をつかまれました。
しかし、心の中でこうつぶやいていました。
「この授業は、本当に僕たちの力になっているのだろうか?」
どれだけ盛り上がっても、僕たちは考えず、声も出さず、手も動かさず、ただ座っていただけ。ただ座って笑うだけの“観客”になっていて、放課後自分で勉強しなければ、成績も伸びない。
その結果、貴重な1年間という時間が
「楽しかった!」という記憶だけで終わってしまいました。
これこそ、エデュテインメント(教育×娯楽)の罠です。
3 楽しい授業は、確かに素晴らしい。でも……
授業を楽しくしたいというは、教師として当然の願いです。僕もそうです。しかし、楽しさ=学習効果ではありません。漫才を聞いただけでは、漫才師になれませんし、カリスマ予備校講師の話を聞いただけで、同じように説明できるようにはなりません。
自分の力がつくのは、こんなときです。
• 自分で声を出したとき
• 自分の言葉で組み立てたとき
• 自分で話したとき
• 失敗しながら練習したとき
• 仲間と先生から応援されたとき
勉強の本質は、観客としての楽しさではなく、主役としての挑戦の中にあります。教師がエンタメ式で上手に説明できるというのは素晴らしいことですが、もっと素晴らしいのは、主役である学習者たちに上手に説明してもらうことです。
4 だから「型」を作り、「安心」をつくる授業へ進んだ
この気づきが、今の僕の授業づくりにつながっています。
●誰でも話せる“型”
• ポジティブな答え → ポジティブな理由 → ポジティブなエピソード
• ネガティブな過去 → 出会い → ターニングポイント → 明るい未来
• 結論 → 理由 → 具体例 → まとめ
何を話せば良いかがわかる「型」があれば、話術がなくても、誰でも話せるようになりますし、うまく説明できるようになります。漫才師のような圧倒的な間がなくても、相手にしっかり伝わるようになります。
●大量音読と「笈川楽譜」
教室で、先生の声を“聞いて真似するだけ”では綺麗な発音や正しいアクセントは身につきません。アクセントの位置ややさしく読むところを「楽譜」で確認して、シュリーマンが大量音読によって10数か国語をマスターしたように、自分の口で何度も音読したら、自信を持って話すことができるようになります。
●ポジティブフィードバックの教室づくり
失敗しても拍手が起きる。安心しているから挑戦が生まれ、挑戦しているから成長します。学習者たちは“観客”ではなく、“主役”へと変わっていきます。
5 最後に
エンタメは確かに素晴らしいと思います。僕も漫才が大好きですし、楽しい授業にも大賛成です。しかし、勉強で本当に大切なのは、「できるようになる楽しさ」です。漫才を見ても再現できないように、話術は聞いただけでは身につきません。
もし「聞いただけで上手くなった」という人がいたら、その人は、裏でたくさん練習しているはずです。少なくとも、僕のリハーサル量を見たら、みな、ヒクはずです。
でも逆に言えば、練習し、挑戦し、声を出せば、誰でも伸びるので、僕は、子どもにも、大人にも、日本語学習者にも、「挑戦の力」を届けたいです。そして、これらのアプローチで、日本語と学校の未来を変えていきたいです。
ご清聴、ありがとうございました。