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『アフリカの小さな村が教えてくれた幸せが続く物語』

中国に渡ってすぐにショックなことがあって、涙が止まらなくなり、医者にいくと、「うつ病ですね」と言われましたが、のちのち勉強してみたら、当時の症状は、かなりの軽症で、重い症状がどれほどたいへんか、当時は想像もできませんでした。

なにもわからぬまま、大学で教鞭を取るようになってからは、なにがなんでも結果を残すこと、実績を重ねること、実力を磨くことに、なんの疑問も抱かずに取り組んでいましたし、ともに高みを目指す教え子たちと楽しく切磋琢磨していた毎日を愛おしく思っていました。

1日が速く過ぎていくので、心を病んだ人たちのことは、頭の片隅にもなく、あっというまに10年が過ぎ去りました。自分は寝食を忘れ、日々充実した毎日を過ごし、山の頂上を目指していたので、いつまでも山のふもとから動こうとしない人々を見て、「なまけものだ」「意志が弱い、がんばらないやつだ」と本気で思っていました。

その頃は、がんばりたくてもがんばれない人の気持ちに寄り添おうとしていませんでしたし、できる限り避けていました。周りも同じ雰囲気だったからか、そこではぶつかる問題はほとんどありませんでした。

ところが、2010年を過ぎた頃、中国の大学では、心を病んだ学生の存在が珍しくなくなりました。ちょうどその頃、わたしは中国全土を飛び回るようになり、夏休みの特訓クラスにも、心を病んだ学生たちがチラホラ見られるようになりました。彼らが参加してくれた理由は、互いに褒め合い、励まし合いながら日本語レベルも高められる授業なら、自分たちでもやっていけると思ったからだということでした。

ショッキングなことが起こると、五感が研ぎ澄まされるというのは本当です。コロナ禍がはじまる前のことです。ひと月に40冊くらい読書をして、はじめて心を病んだ人への接し方、寄り添い方をはじめて学びました。同時に、心を病んでいない人にも、同じようにやさしい気持ちで接すると、どの人にも喜んでもらえることがわかりました。

ところで、最近読んだ著書によると、昔々の日本人は、自分にも他人にもやさしくできて、喜びや幸せを発見するのが上手で、いつも幸せや喜びの水が心のコップから溢れ出していて、溢れた水を周りに人の心に注いでいたそうです。

でも、いまはみな忙しくなってしまい、他人の心に喜びを注ごうとすると、自分の心が枯渇してしまうというのです。もしかしたら自分のことかなと思いました。

ご飯を食べている時に目を閉じて、「おいしいな」「幸せだな」と思って噛み締めると、不思議に喜びが湧きあがってきます。コップの取っ手を見て、「もちやすい形だなあ」と思うだけで、喜びが湧き上がってきます。昔々の日本人は、小さなもの事から喜びや幸せを見つける天才だったそうです。

『アフリカの小さな村が教えてくれた幸せが続くお話』を読んで、自分は、人に喜びを与えようとしていたけれど、自分の心が枯渇していたんだと気づきました。

もし本を読む時間がない場合は、動画を見てください。

https://youtu.be/GGyvU9yI3A0?si=Hc1q_i1IZ_d4gbNm

昨日は日経新聞さんとzoom会議をしました。私にメリットがある話ではなかったのですが、やさしい気持ちで、記者さんに接しました。

忙しいとなにをやるにも誰に対してもやさしく丁寧に接することができませんが、そういう心理や行動、表情は、他人に気づかれてはいますが、それはこっちのわがままをわかっているの上で許してもらっているだけなんですよね。

長く中国にいたので、中国でよく言われている「自転車の後部座席で笑うより、BMWの中で泣いていたい」という価値観も理解できます。

しかし、どう努力しても自分に合わない価値観だったので、自分らしく、小さなもの事から、幸せや喜びを見つけ、自分の心を満たして、その上で、誰かの心に温かみある幸せの水を注ぎたいと思いました。

みなさんもぜひ、動画をご覧になってください。

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